馬込文士村

■所在地 :大田区馬込、山王、中央の一帯
■交  通 :京浜東北線 大森駅  都営浅草線 西馬込駅など



 大森駅前にある天祖神社下の石垣に埋め込まれている文士たちや、文士村の移り変わりを描いたレリーフ。


↑文士たちの旧居跡などに設置されている解説板。

    馬込文士村

 今では閑静な住宅地になっている山王・馬込の地に、大正末から昭和初期を中心とした時期、多くの文士や芸術家たちが住み、いつしか「馬込文士村」と呼ばれるようになりました。
 文士や芸術家たちが住み始めた頃、大森駅前の高台は都市近郊の別荘地として知られました。一方の馬込は雑木林や大根畑の広がる一帯でした。
 馬込の大根畑の真ん中に若い尾崎士郎・宇野千代が移ってきたのは大正十二年(1923)のこと。士朗は文学仲間を次々に誘い、社交的な二人は文士たちの中心的な存在となりました。
 大正十二年といえば関東大震災の年。東京近郊へ移り住む人々が急増し、馬込一帯も次々に宅地化され、景観が大きく変わってきた時代でした。
 大田区では、この馬込文士村を「馬込文士散策のみち」と名付けて散策コースを設定し、案内板や文士たちの旧宅や旧宅のあった近くに解説版を設置して、散策のガイドをしています。 

    
     ↑郷土博物館前に設置されている案内板。
 ■馬込文士村に住んだ主な文士や芸術家たち (順不同)
 ・石坂洋次郎(小説家) ・稲垣足穂(小説家) ・今井達夫(小説家) ・宇野千代(小説家) ・尾崎士郎(小説家)
 ・片山弘子(歌人・翻訳家) ・川瀬巴水(版画家) ・川端茅舎(俳人) ・川端康成(小説家) ・川端龍子(日本画家)
 ・北原白秋(詩人) ・衣巻省三(詩人・小説家) ・倉田百三(小説家・劇作家) ・小島政二郎(小説家) 
 ・小林古径(日本画家) ・榊山潤(小説家) ・佐多稲子(小説家) ・佐藤朝山(木彫家) ・佐藤惣之助(詩人)
 ・子母沢寛(小説家) ・城左門(詩人・小説家) ・添田さつき(小説家・作詞家) ・高見順(小説家) ・竹村俊郎(詩人)
 ・徳富蘇峰(評論家) ・萩原朔太郎(詩人) ・日夏耿乃助(詩人・英文学者) ・広津柳浪(小説家) ・藤浦洸(詩人)
 ・広津和郎(小説家・評論家) ・保高徳蔵(作家) ・真野紀太郎(画家) ・牧野真一(小説家) ・間宮茂輔(小説家)
 ・真舟豊(劇作家小説家) ・三島由紀夫(小説家・劇作家) ・三好達治(詩人・翻訳家) ・室生犀星(詩人・小説家)
 ・村岡花子(翻訳家・童話作家・評論家) ・室伏高信(小説家・評論家) ・山本周五郎(小説家) ・吉屋信子(小説家)
 ・山本有三(劇作家・小説家) ・吉田甲子太郎(児童文学者・翻訳家) ・和辻哲郎(哲学者・倫理学者) など  
  
       

←文士らが移り住み交流が盛んになって、尾崎・宇野家には彼らの人柄を慕う仲間で家の中はいつも賑わい、文士の話題が飛びかうので「馬込放送局」と呼ばれていた。
    
↑関東大震災の騒ぎが一段落してくると、世間では新しい風俗がみられるようになりました。ダンスホールが出来、洋装のモダンボーイや断髪姿のモダンガールが現れ、大正十四年には麻雀が大流行、麻雀カフェーが出来ました。作家の広津和郎も麻雀カフェーに通った一人で、馬込の自宅にも麻雀を持ち込み文士たちに伝授しました。

←昭和の初期文学の世界は転換期を迎えていました。まだ若かった馬込の文士たちにとっても将来に不安の多い時代であったといえます。
 仲間同士集まって気分を紛らわそうというのか、麻雀に続いて馬込の面々が凝り始めたのは、ダンスでした。衣巻家のアトリエで開かれるダンスパーテーに通ってきたのは、萩原朔太郎夫婦や室生犀星、宇野千代、時には川端康成夫人の姿もありました。


←昭和六年、文士の間で相撲の話が持ち上がり「大森相撲協会」が発足しました。文士(力士)に四股名をつけ番付表を作り、土俵は池上本門寺の裏手にあった空屋敷の庭にこしらえ、相撲大会を開きます。
 ダンス流行の頃からやや退廃的なムードが漂っていた文士村は、住人の入れ替りがあってようやく落ち着きを取り戻しつつありました。
               ※出典〔天祖神社下のレリーフより〕
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