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千束八幡神社「名馬池月発祥伝説」

■所在地 :南千束2−23−10 千束八幡神社
■交  通 :東急池上線 洗足池駅下車 徒歩、5分
        



          ↑千束八幡神社

     ↑奉納された名馬池月の大絵馬

            ↑名馬池月像

    千束八幡神社「名馬池月発祥伝説」

    池月(いけづき)発祥伝説の由来
 池月とは「宇治川先陣物語」にある名馬の名である。
 治承四年(1180)頼朝、相洲石橋山の合戦に敗れて安房に逃れこの地の豪族、千葉常胤(つねたね)、上総介広常(かずさのすけひろつね)、等の参向を得再挙して鎌倉に向ふの途次こゝ千束郷の大池に宿営し八幡丸の丘を本陣として近隣諸豪の参陣を待つ、折りからの皓月(こうげつ)池水に映るを賞でつる折ふし何處方よりか一頭の野馬、頼朝の陣所に向かって飛来り嘶(いなな)く声、天地をふるはすばかりであった。
 郎党之を捕へて頼朝に献ずるに馬体あくまで逞(たくま)しく青き毛並に白き斑点を浮べ恰も池に映る月影の如くであった為之を池月と命名して自らの料馬とする。
 頼朝先に磨墨(するすみ)を得、今またこゝに池月を得たるは之れ征平の軍すでに成るの吉兆として勇気百倍し来れりと云ふ。士卒之を伝へて征旗を高く掲げ歓声やまざりしとか。
 当八幡宮の別名を「旗上げ八幡」と稱するはこの故事による。寿永三年春(1184)頼朝木曽義仲を京師の攻む。義仲宇治、勢田の両橋を徹し河中に乱杭逆茂木を設けて寄手の渡を阻まんとす、この時鎌倉出陣に際し各々頼朝に乞ふて賜りたる名馬二頭の中、梶原景季(かげすえ)は磨墨に、佐々木高綱は池月に打ちまたがり共に先陣を争った。史書に云ふ宇治川先陣争いである。
 池月一代の晴れの場所でこの一番乗りの功名が今に至るまで名馬の誉れを伝へてゐる。
 この池月誕生地が当八幡であって即ち池月発祥伝説の起こりである。
 古くより里人の間に語り継がれ大井町線の駅名に(今の北千束駅)、又町会名にもなってゐたが、今はない。
 遠き治承の昔より光芒すでに八百秋、時代の変遷と共にこの伝説の忘失を惜しみ誌して後世に伝へんとする。
 尚磨墨を葬せし磨墨塚は南馬込に現存する。
 氏子青年有志による池月太鼓は即ちこの伝説を太鼓に托したものであり毎年九月の祭日に奉納されてゐる。

    池月の
        蹄(ひづめ)の音(おと)か
                      揆(ばち)の冴(さ)え

  平成四年三月
                              千束八幡神社
                              洗足風致教会 

    ※出典〔千束八幡神社・洗足風致教会設置の解説板より〕

   
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