旧羽田道

■所在地 :大田区大森東2内川橋〜羽田6弁天橋まで
■交  通 :



 美原通り(旧東海道)美原通りから、旧羽田道の
起点である内川橋袂の分岐点。

    旧羽田道

 羽田道の分岐点である内川橋は、昔「するがや橋」といわれ橋の袂沿い(現在の釜屋金物店の場所)に、「駿河屋」という旅宿があったので、「するがや通り」という名が残っています。
 羽田道は美原通り(旧東海道)の内川橋袂から分岐し、大森東、大森南、東糀谷を通って羽田(弁天橋)に至る約五キロの道です。
 昭和初期に行われた耕地整理により、旧道は消えていったが大森東二・三丁目や羽田六丁目の七曲がり付近などは当時の旧道が残っています。
 往時は羽田の魚介類や野菜を江戸に運んだり、羽田弁財天等に参詣する人々がこの道を利用したようです。くねくね曲がった細い道でしたが、昭和七年に産業道路ができるまで、人々の生活や産業のための大切な道でした。

 歌舞伎「浮世柄比翼稲妻」で、「お若えのお待ちなせえ」のセリフで白井権八を呼び止める幡随院長兵衛が常宿としていたのが「駿河屋」であった。その幡随院長兵衛の浮世絵の絵タイルが「するがや通り」の入口の道にはめ込まれている。
   
    ↑するがや通り商店街を進むと道路の分岐点にある碑
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