池上競馬場跡

■所在地 :大田区池上6〜7丁目付近
■交  通 :東急池上線 池上駅下車 徒歩、5分



   ↑池上六丁目 徳持ポニー公園のモニュメント

    池上競馬場跡

       池上競馬場について
 明治39年(1906)から明治41年頃、池上村(現在の池上6〜7丁目付近)に競馬場がありました。
 日清・日露戦争後の当時、政府は軍馬の不足解消と資質改善を目的として海外から優秀な種馬を輸入するとともに競馬会の設立を奨励しました。
 そして明治39年11月24日、日本人による洋式システムの最初の競馬がこの池上競馬場から開催されたのです。しかし競馬熱が異常に高まり弊害を生じる事態になったため、明治41年政府は馬券の発売を禁止し盛況を誇った池上競馬場もわずか3年で廃絶となりました。
         大田区立郷土資料館 博物館ノートNo.6より抜粋

                ※出典〔設置モニュメント解説文より〕
 

 明治39年3月大森山王に住んでいた加納久宣氏が会長になって組織した東京競馬倶楽部が池上徳持村の水田の中に作った競馬場です。
 競馬場は、一周1,800メートル、馬見所の建物五百坪、馬舎五百三十坪あり、当時としては横浜根岸競馬場につぐものと言われ、春と秋に開催されました。しかし競馬法改正にあい、馬券発行は賭博行為として禁止になり、3年で已む無き廃止になった。
 馬場を作るために土を掘り上げたあとの池や、馬場のあとは茅が生え雑草が生い茂り田畑にもならなかったが、昭和11年(1936)に目蒲電鉄不動産部が造成し分譲地として売り出された。
 
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