川端茅舎の旧居跡と句碑

■所在地 :大田区池上1−5−7
■交  通 :



  旧居跡にはマンションが建ち、道路沿い角の句碑が
 残るのみとなった。

    川端茅舎の旧居跡と句碑

   川端茅舎(かわばたぼうしゃ)(1897−1941)俳人
 ‐五重塔の前の道をだらだらと下り、本門寺裏へぬけて急坂を登りつめた左角‐に川端茅舎が住んでいました。
 茅舎は、日本画家川端龍子の異母弟で、昭和三年、兄龍子の用意したこの家に父親とともに移ってきました。
 今では俳人として知られる茅舎ですが、この家に移るまでは俳句と同時に画業もこなす風流人でした。大正十七年には洋画家の岸田劉生に師事し、同十二年に『静物』画が芸術院に入選しています。
 一方徘諧誌に句が入選するようにもなり、昭和十三年には『ホトトギス』紙上で新進作家として取り上げられました。また画師である岸田の死と自分の病がもとで画業から遠ざかったこともあって、この頃より俳句の世界に専念しました。
 川端茅舎は、馬込を描写した七句を残しています。

     ※出典〔大田区設置 馬込文士村散歩のみち標識板より〕
 
  
  句碑
 総高90センチ、幅30センチ、奥行20.5センチ。
 この句碑は、昭和二十一年ころに建てられた。

  


   側面に↓     正面に↓ と刻されている。  

    

 青露庵とは、茅舎の戒名である青露院よりとったもので、正面の書は兄龍子の書である。生前は茅舎庵と称されたという。
 側面の句は茅舎の昭和六年ころの作品で、碑に刻された字は、短冊に書いたものを拡大して刻したものだという。
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