旧東海道(美原通り) |
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■所在地 :大田区大森東1−7付近 | |
■交 通 :京浜急行本線 平和島駅より徒歩3分 | |
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↑環状七号線より美原通りを望む |
〈大田区指定 史跡〉 昭和51年2月25日指定 旧東海道(美原通り) 東海道は、江戸時代初期に幕府の整備した、江戸日本橋を出発点とする五街道の一つで、江戸と京都を結ぶ、最も重要な交通路であった。参勤交代の大名行列のほか、一般の旅人にも大いに利用された。 昭和二年(1927)、東海道は拡幅改修され、第一京浜国道が完成した。そのため往時の幅員を比較的よく残しているのは、この美原通りと六郷地区の一部だけとなった。 旧東海道は、かつて三原通りと言われた。三原とは、字名の南原、中原、北原の三原のことで、美称して美原になった。 歌舞伎「浮世塚比翼稲妻」(鶴屋南北作)で有名な旅籠『駿河屋』のあった「するがや通り」は内川橋の際から分かれる。 ※出典〔大田区教育委員会設置の標識板より〕 |
↓旧東海道美原通り景観整備事業の一環として、旧東海道を意識した江戸風情緒豊かな和風のデザインで店先が統一され、閉店後のシャッターには浮世絵などが描かれ、道行く人の目を楽しませる通りになりました。 |
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←餅甚のあべ川餅 内川橋手前に和菓子の老舗、 元祖甚三郎が享保元年(1715年)に、駿府駿河の国安倍川 のほとりより出府。 海辺の大森の地に茶店を開き、東海道を往来する旅人たち に、夏の暑さの疲れを癒すため、真夏の土用中だけ一皿の餅に 渋茶を添えて、旅情を慰めたのがあべ川餅のはじめだそうです。 |
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←海苔の松尾と三浦提灯店 寛文9年(1669)創業の老舗、海苔の松尾と、 江戸時代から続く伝統的な店、三浦屋提灯店がある。 ↑通りの脇には、昔の街道の様子や、かつて盛んだった海苔作りなどの様子を描いた絵タイルがはめ込まれた石柱が置かれている。 ↑歌舞伎「浮世柄比翼稲妻」で、「お若えのお待ちなせえ」のセリフで白井権八を呼び止める幡随院長兵衛が常宿としていたのが「駿河屋」であった。その幡随院長兵衛の浮世絵の絵タイルが「するがや通り」の入口の道にはめ込まれている。 |
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↑旧羽田道の入口、内川橋袂より美原通りを望む |
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