六郷の渡し跡

■所在地 :大田区東六郷3−25先
■交  通 :京浜急行本線 六郷土手駅より徒歩3分



 ・近くの北野天神入口脇にある六郷の渡し標識柱
 「六郷の渡し」「日本橋へ四里半」と墨で書かれている
  
 〈大田区指定 史跡〉  昭和50年3月19日指定
    六郷の渡し跡

 「六郷の渡し」は、旧東海道における八幡塚村と川崎宿間の渡しで、江戸の玄間口の渡し場として、交通上極めて重要であった。
 架橋記録は永禄年間(1558〜69)慶長年間(1596〜1614)がある。その後貞享五年(1688)洪水により流失してからは、橋を架けず渡船によって交通が行われた。渡しのようすは広重の錦絵や地誌叢書類によって知ることができる。
 明治七年(1874)以降、地元八幡塚村篤志家鈴木佐内によって、橋が架けられ有料で通行させたが、数次の流失にあった。現在の橋は昭和五十九年(1984)に架橋されたものである。

           ※出典〔大田区教育委員会設置の標識板より〕
          
 六郷の渡しのあった場所は、現在の新六郷橋の袂から百五十メートルほど下流にあったようです。
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