丸子の渡し跡

■所在地 :大田区田園調布本町31先
■交  通 :東急多摩川線 沼部駅より徒歩2分



・東海道新幹線の鉄橋より、少し上流にあったようです。
 〈大田区指定 史跡〉  昭和50年3月19日指定
    丸子の渡し跡

 丸子の渡しは、沼部(現田園調布本町)と上丸子(川崎市中原区)とを結ぶ多摩川の渡しで、古くは「まりこのわたし」ともいった。渡し守子の「もりこ」がなまって「まりこ」となったともいわれる。
 この付近は、すでに鎌倉時代の文書に「丸子荘」と記載されたり、また文明十八年(1486)から十九年にかけて、京都から東国方面へ旅行した際の記録である『廻国雑記』に「東路のまりこの里に行かかりあしもやすめずいそぐ暮れかな」と詠まれた。中世以来の渡し場と推定される。
 江戸時代になると、中原街道が整備され、物資の搬入等に利用され、昭和九年(1934)丸子橋が完成するまで利用され、江戸東京の玄関口として大きな役割りを果たしていた。

           ※出典〔大田区教育委員会設置の標識板より〕
          
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