紀伊徳川家墓所

■所在地 :大田区池上1−1−1  池上本門寺
■交  通 :東急池上線 池上駅より徒歩10分  都営浅草線 西馬込駅より徒歩13分
        JR京浜東北線 大森駅西口より池上方面行バスで15分 本門寺前バス停下車、徒歩5分


 〈大田区指定 史跡〉  昭和50年3月19日指定
    紀伊徳川家墓所

  この墓所は、養珠院お万の方〔承応二年(1653)没〕、および瑤林院〔寛文六年(1666)没〕をはじめ、主として江戸藩邸で没した藩公の内室(令夫人)を埋葬したものである。
 墓域の規模、構築の優美さなど、幕府直系大名の墓所としての威容を示している。
 お万の方は、徳川家康の側室で、紀伊大納言頼宣、水戸中納言頼房の生母である。その薫化により日蓮宗に帰依した頼宣は、法化経を信奉することが篤かった加藤清正の息女の瑤林院を妻として以来、池上本門寺との関係がより深いものとなった。

           ※出典〔大田区教育委員会設置の標識板より〕
          

      養珠院(お万の方)供養塔
 この墓所には藩公の内室や子供の墓塔が八基並んでいる。
 向かって右から
 「松寿院宝篋印塔」 頼宣の娘松姫の供養塔。
 「真空院宝篋印塔」 頼宣の子、四歳で夭折している。
 「養珠院宝塔」 徳川家家康の側室お万の方で、頼宣と水戸の
     頼房の生母である。本墓は山梨県の大野山本遠寺にある。
 「妙操院一重塔」 十一代将軍家斉の側室で六男斉順の生母。
 「天真院宝塔」 二代光貞の側室で伏見宮貞清親王の姫・安宮。
 「揺林院宝塔」 頼宣の正室で加藤清正の娘あま姫である。
 「寛徳院宝塔」 八代将軍吉宗の簾中で伏見宮貞致親王の
            姫・真宮。
 「霊岳院宝塔」 光貞の三女で吉宗の姉にあたる育姫。
 

 紀伊徳川家
 徳川家康の十男徳川頼宣を家祖とし、江戸時代を通じて紀州藩紀伊藩・和歌山藩)の藩主であった。
 五代藩主吉宗と十三代藩主慶福が、それぞれ八代将軍徳川吉宗、十四代将軍徳川家茂となっており、御三家の中では唯一征夷大将軍を輩出した唯一の家である。
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