松竹キネマ蒲田撮影所跡

■所在地 :大田区蒲田5−37附近
■交  通 :JR京浜東北線 蒲田駅東口下車、徒歩3分



    ↑松竹キネマ蒲田撮影所の復元模型  写真2
 このジオラマ(模型)は、神奈川県大船の鎌倉シネマ
ワールドに展示されていたものを平成十一年(1999)
に、松竹株式会社より大田区が寄付を受けたものです。
        ※写真〔アプリコ地下1階の展示ジオラマ〕

    松竹キネマ蒲田撮影所跡

 本格的な映画制作を目ざした松竹は、大正九年(1920)三月に松竹キネマ合名社を設立。同年六月、当所にあった中村化学研究所の跡地に松竹キネマ蒲田撮影所を開設した。
 大正十二年(1923)の関東大震災で倒壊したため、代替として京都下加茂撮影所を開設し撮影が行われた。大正十四年(1925)に松竹キネマ蒲田撮影所は復興し再開された。
 以来、昭和十一年(1936)、撮影所が神奈川県大船に移転するまでの十七年間、数々の名作を生み出し、「キネマの都」として全国にその名が知られました。
 撮影所周辺には何人もの俳優や関係者が住み、モダンな商店などが建ち並び華やかで活気のある街であった。
 移転後の跡地を高砂香料工業株式会社が取得し、香料の生産を始める。時代と共に環境問題等で工場の規制が厳しくなり移転。
 平成十年(1998)、大田区と日本生命の共同開発により、商業ビル「ニッセイアロマスクエア」や大田区民ホール「アプリコ」の文化施設が造られ、総称「アロマスクエア街区」と呼ばれる。
 

 ←蒲田撮影所と松竹橋
 当地には、かつて、松竹キネマ蒲田撮影所があり、1920年(大正9年)から神奈川県大船に移る昭和十一年(1936)までの17年の間、ここから幾多の名作が世に送り出さ、我が国の映画文化の発展に大きく寄与し、蒲田は「キネマの都」として全国にその名を知られるようになりました。
 ここに置かれた橋は、当時、撮影所の正門前を流れていた逆川(さかさがわ) に架かっていた「松竹橋」を模したもので、撮影所が当地を去った50年後の1986年(昭和61年)に公開された映画「キネマの天地」の撮影に使われました。
 よって、この地にこれを復元し、「松竹映画発祥の地」として末永く記念するものであります。
                   ※出典〔現地設置標識板より〕
 ←「松竹橋親柱」の由来について
 当地には、かつて、松竹キネマ蒲田撮影所があり、その正門前を流れていた逆川 (さかさがわ)には「松竹橋」がかかっていました。
 「アプリコ」のあるアロマスクエアには, 1986年(昭和61年)に公開された映画「キネマの天地」撮影のために製作された「松竹橋」が、蒲田の歴史を物語る記念碑として移設されています。
 こうした地元の思いを知った鎌倉在住の方より、戦中戦後の混乱を経て、もはや現存しないものとされていた親柱の寄贈の申し出があり、 蒲田東口地区街づくり協議会が懸橋となって、70数年ぶりに、当地への里帰りが実現しました。
 この親柱を、大田区の貴重な歴史的遺産として、地域文化創造の拠点となる区民ホール「アプリコ」に設置しました。
                  ※出典〔現地設置の標識板より〕
 ←現在のアスレチッタ1階エレベーターホールに建てられている
蒲田撮影所跡の木柱。

    
      ↑アロマスクエア隣りのビル壁面に描かれている
      松竹キネマ蒲田撮影所。
 ←↓旧松竹キネマ蒲田撮影所跡地に建つ「ニッセイアロマスクエア」と大田区民ホール「アプリコ」
  
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