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曙楼の跡

■所在地 :池上1−19−35
■交  通 :東急池上線 池上駅より徒歩15分





        ↑木下順庵先生墓跡の碑

    曙楼の跡

      当地由来
 大森めぐみ教会の正門の傍らに建つ「木下順庵先生墓跡」の碑は、この地に江戸前期の儒学者として有名な木下順庵(1621〜98)の墓があったことを伝えている。
 木下順庵は、五代将軍徳川綱吉の時(1687〜1709)、幕府の儒官、将軍の侍講に挙げられ、新井白石ら多くの儒学者を育てた。その功により、元禄十一年(1698)に亡くなると、幕府よりこの地を墓所として与えられ、堤傍(堤方)村村民荒忠七とその子孫が墓を守っていたが、大正三年(1914)全国の儒者とともに小石川の大塚先儒墓所に改葬された。
 明治になって、この地で鉱泉が発見されると、明治十九年(1886)に河野実成が大料亭「明ぼの楼(明保乃楼、曙楼)」を建て、光明館などの池上温泉場が設けられた。池上本門寺に連なる台地斜面にあり、遠く房総を望む景勝地であったことから、多くの政治家や著述家たちが訪れた。田山花袋の『東京近郊』や徳富蘆花の『富士』などにも登場する。庭には無数の梅や南天等が植えられていたといい、今も庭内に残る二本の梅の木は、三代将軍家光(1624〜50)のお手植え梅と伝えられる。
 この地に、大森めぐみ教会と幼稚園が移転してきたのは、昭和二〇年(1945)五月のことである。大森めぐみ教会と幼稚園は、昭和二年(1927)、大田区新井宿(現中央七丁目)に岩村清四朗牧師が設立、更に昭和十四年(1939)めぐみ高等女学校を設立したが、不幸にして戦災によって焼失したため、教会と幼稚園だけがこの地に移転した。敷地二〇〇〇坪。

                    ※出典〔現地設置の標識板より〕

 ↑隣の妙雲寺駐車場入口に、曙楼の門柱跡の説明書
きがあった。門柱は、イラストのように煉瓦造りの円柱で、塀も煉瓦造りだった。


    
   ←↑妙雲寺と養源寺との間にある、石段の坂上にも曙楼の
     塀の一部が残っている。
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