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本行寺

■所在地 :大田区池上2−10−5 本行寺内
■交  通 :東急池上線 池上駅より徒歩15分  都営浅草線 西馬込駅より徒歩15分
        JR京浜東北線 大森駅西口より東急バス池上方面行で15分 本門寺前バス停下車、徒歩10分



             ↑本堂

    本行寺

 本門寺の左奥西谷にある。ここは日蓮聖人入滅(臨終)の霊場だ。
 日蓮は晩年甲斐国身延山久遠寺に隠棲し、弟子や信者の指導に当っていたが、今より七百余年前の弘安五年(1282)九月八日故郷安房の清澄山に戻ろうと、九ヶ年の間住みなれた身延山を後にし、病める身体を栗鹿毛の馬に委ね、同月十八日ここ池上宗仲(鎌倉時代の工匠)の館に立ち寄った。
 病重く療養に努めていたが、一時小康を得ると、弟子や信者に「立正安国論」の講義をしたが、病いよいよ改まり、十月八日には本弟子六人(日昭、日朗、日興、日向、日頂、日持)を定めて後事を託し、十日には形見分け、翌日には十四歳の経一丸(のちの日像上人)へ京都開教を遺命され、枕元に大曼陀羅本尊を掛けさせ、十三日の辰の刻、弟子信者一同が静かに法華経を読誦する中、入滅した。この時大地は揺れ動き、庭の桜が一度に時ならぬ花をつけたと伝えられる。
 病中の日蓮が、身延山を発ってこの地に移ったのは、法華経を説いた釈尊が霊鷲山(りょうじゅせん)から艮(うしとら=東北)に当る士匠純陀の家で入滅した故事に倣ったものだろうと考えられている。
 日蓮の滅後宗仲は館を寄進して寺とし「長崇山本行寺」と号し、「大坊」と俗称された。
 入滅した部屋の跡に建てられた堂を特に「臨終の間」と呼び、昭和11年3月東京府の史跡に指定された。堂内には立正安国論を講義する時に寄り掛かったという「寄り掛かりの柱」を始め、中央に日蓮自ら鏡を見て自刻した「自鏡満願の祖師像」並びに「池上宗仲公御夫婦像」等を奉安し、入滅の当時を今に忍ばせている。

 大坊本行寺と一般に言われるが、大坊とは、池上本門寺の子院や末寺を代表する寺という意味の尊称である。
 現在の本堂は昭和五十六年(1981)、大聖人七百年遠忌記念事業として大改築されたものです。



 本堂の左奥には日蓮聖人が入滅した部屋の跡に建てられたお堂「日蓮聖人入滅の旧跡(ご臨終の間)」東京都指定文化財。
 本堂右手には、身延から到着した翌日、日蓮聖人はこの井戸の水で墨をすり、九ヶ年の間庇護をして下さった波木井実長公に、礼状をしたためられた「御硯井戸」。高弟の一人が、日蓮聖人の遺徳を偲んで彫刻した、旅姿の日蓮聖人像が安置されている「旅着堂」。日蓮聖人入滅の後、ご遺体を荼毘に付した際の御灰骨が安置されている「御灰骨堂」
    
    ご臨終の間      御硯井戸      旅着堂
  
     御灰骨堂
       

            ↑三門(赤門)

               ↑本堂
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