三橋欣三朗の碑

■所在地 :大田区本羽田3−9−10 自性院
■交  通 :京浜急行空港線 大鳥居駅より徒歩8分



    三橋欣三朗の碑

 総高192センチ、幅106センチ、奥行20.5センチ。
 三橋欣三朗は羽田村の高津家に生まれ幕臣三橋家をついだ。彼は海軍に入り、長崎に派遣されて軍艦操縦術を学び、榎本武揚の指揮する海陽丸の乗組員となる。
 明治元年(1868)鳥羽伏見の戦いの後、病気となった彼は羽田に戻り、三橋塾を開く。
 明治二十四年(1891)十二月、五十六歳で没した。
 この碑は、三橋塾の教え子が二十回の忌日に師の遺徳をたたえ建立したものである。
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