鵜の木一丁目横穴墓群

■所在地 :大田区鵜の木1−6−1 鵜の木松山公園
■交  通 :東急多摩川線 鵜の木駅下車 徒歩、5分



            ↑6号横穴墓

    鵜の木一丁目横穴墓群について

 多摩川流域の横穴墓は、古墳時代(六世紀末)から奈良時代(八世紀前半)にかけて、台地斜面に横穴を掘って造られた地域の有力者のお墓です。大田区周辺の台地斜面では、鵜の木台地をはじめとして、いままでにおよそ260基の横穴墓が発見されています。
 鵜の木一丁目横穴墓群は、「区立鵜の木松山公園」の東斜面標高約12mの地点に、七世紀後半から八世紀前半にかけて構築されました。昭和61年(1986)の公園造成の際に2基が、平成17〜19年(2005〜2007)の公園整備で4号〜7号墓が発掘調査されています。
 なかでも6号墓は、大田区周辺に見られる特徴的な切石羨門構造をもつ貴重な横穴墓であることから、発掘当時の姿で保存しています。

   6号横穴墓について
 6号墓は、墓道と羨門および墓室からなり、全長11,3mと長大です。
 墓道は切り通し状で、被葬者を墓室へ運び、墓前祭を行う場所で5,9mあります。
 泥岩製切石の羨門は、高さ1m、幅0,7mあり、3段積の切石で閉じられていました。
 墓室は徳利を半分に割った形で、全長5,4mです。被葬者は墓室奥に、礫敷きの棺台に3体埋葬されていました。3体は、20歳前後2体と30歳以上1体です。うち1体は、20歳前後の女性と判明しています。
 3体の被葬者が追葬されていることから、6号墓は、有力者の家族墓と考えられます。
 6号墓は、その形態と付近の横穴墓の年代から、奈良時代前後(いまから1300年前頃)に造られたと考えられます。

                   ※出典〔大田区設置の解説板より〕
 

     ↑6号横穴墓羨門の3段積切石
         ※出典〔大田区設置の解説板より〕

              ↑内部
     
               ↑鵜の木松山公園
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