羽田の渡し跡

■所在地 :大田区羽田2−30付近
■交  通 :JR京浜東北線 蒲田駅東口下車、京急バス1番乗場より羽田車庫行にて大師橋下バス停下車、徒歩7分





    羽田の渡し跡

 古くから、羽田漁師町(大田区)と上殿町(川崎市)を渡る「羽田の渡し」が存在していたという(現在の大師橋下流、羽田三丁目で旧城南造船所東側あたり)。
 この渡しは、小島六佐衛門組が営んでいたので、「六佐衛門の渡し」とも呼ばれていた。
 渡し場付近の川幅は約四〇間(約八〇m)ぐらいで、「オーイ」と呼ぶと対岸まで聞こえたという。
 その昔、徳川家康が狩りに来た帰りに、お供の者と別れて一人でこの渡し場に来たところ、船頭は家康とは知らずに馬のアブミを取ったという伝説が伝わっている。
 ここで使われた渡し舟は、二〇〜三〇人の人々が乗れるかなり大きなもので、この船を利用して魚介類、農産物、衣料品など、生活に必要な品々が羽田と川崎の間を行き来していた。
 江戸の末には、穴守稲荷と川崎大師参詣へ行き交う多くの人々が、のどかで野梅の多かった大森から糀谷、羽田を通り羽田の渡しを利用するため、対岸の川崎宿では商売に差しつかえるので、この渡しの通行を禁止して欲しいと公儀に願い出るほどの賑わいをみせていたという。
 また、明治後期から昭和初期にかけて、川遊びをする船も往来していた。
 物資の交流だけでなく、人々の生活、文化の交流など大きな貢献をしてきた羽田の渡しは、時代の変化とともに多くの人々に利用されたが、昭和十四年に大師橋が開通したことにより廃止された。
                          大田区
              ※出典〔羽田の渡し跡石碑文より〕

     
    銅板に浮き彫りで描かれた当時の様子




 現在の羽田の渡し跡付近(川崎市・殿町1丁目より対岸の羽田2丁目方面を望む)
 手前が首都高速道路神奈川1号横羽線、左奥が産業道路(大師橋)。
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