金保元泰墓  

■所在地 :大田区池上2−10
■交  通 :東急池上線 池上駅より徒歩10分  都営浅草線 西馬込駅より徒歩13分
        JR京浜東北線 大森駅西口より東急バス池上方面行で15分 本門寺前下車 徒歩10分


 〈東京都指定 史跡〉  平成26年3月25日指定
    金保元泰墓
    多紀家墓所 附 金保氏墓 5基のうち1基

 この墓標は、江戸時代に幕府医官の要職を歴任した、多紀家初代
元泰のものです。元泰は京都で口科(歯科)を業としていましたが、
丹波頼元によって養子に迎えられました。元泰は、十代前の丹波金
康の名を取って性を兼康に改めますが、徳川家康の開幕にあたり、
金保に改姓しています。慶長18年に二代将軍秀忠に謁見、
慶長年間には法橋に叙せられます。慶安元年10月12日に没し、
狩野探幽と親交が深かったことから、池上本門寺に埋葬されました。
 二代元尚は、北区にある城官寺を菩提寺に定め、以後代々埋葬されます。特に奥医師に任ぜられた五代元孝は、金保から多紀に性を改め、城官寺墓地の一角に墓所を設けます。この多紀家墓所には、五代元孝から十代元佶までの墓標が規則的に配置され、墓所以外には二代元尚から四代元燕の墓標が良好に保存されています。
 墓所一帯は、昭和十一年に「多紀桂山一族墓」として標識されていましたが、近世医官の墓所としてまれな規模であることから、平成二十三年に「多紀家墓所 附 金保氏墓 四基」として史跡に指定されています。
 江戸時代に行方不明となっていた初代元泰の墓ですが、戦後、磯ヶ谷紫江により、宝塔東側の崖下に土留めとして使われていたところを発見されます。近年、池上本門寺により現在の場所に移築されました。
 初代元泰の墓は、多紀家一族の系譜を墓標からたどるうえで重要ですが、埋葬当時の場所でないことから、「附 金保氏墓四基」に
加え、多紀家墓所 附 金保氏墓 5基」として追加指定されました。

           ※出典〔東京都教育委員会設置の標識板より〕
        
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