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禰宜(ねぎ)舞

■所在地 :大田区西嶺町4−1 天祖神社
■交  通 :東急池上線 御嶽山駅下車 徒歩6分
  



    ↑四方祓いの舞で舞台を清めます


    ↑1、猿田彦命(さるたひこのみこと)の舞

    禰宜舞 (川崎市芸能無形文化財)

  例祭日 毎年4月21日、午後3時 禰宜舞
 禰宜とは、現在では神職の位を意味しますが、16世紀くらいまでは神職の総称でした。起源は詳かではありませんが、江戸中期頃といわれ、昭和15、6年頃までは多摩川を中心に都下調布市から大田区六郷近辺まで、川の両側の神社や、町の広場約20ヵ所で舞われていましたが、戦後は東京側ではこの天祖神社1ヶ所です。
 舞うお面は五種類。舞うごとにお面と衣装を変えます。舞いそのものは単調で、太鼓の響きから別名「デデンコ舞」ともいわれています。先ず、大祓詞を奏上して舞台を祓い清めます。
 1、猿田彦命(さるたひこのみこと)
   通称天狗さま、天狗さまは道祖神で道案内人、人生の道
   案内の神。
 2、天鈿女神(あめのうずめのみこと)
   天岩戸の前で踊って天照大御神を慰め踊り、芸能の神。
 3、天児屋根命(あめのこやねのみこと)
   天岩戸の前で祝詞(のりと)を唱えて祈祷し、神事、祭りを
   司る神。
 4、彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
   山の幸の神。山で鳥獣を狩猟司る神。
 5、大山祇命(おおやまずみのみこと)
   山々の緑、山から湧き出ずる清水、樹々から生ずる木の
   実等、山の大自然を司る神。山の神。
こうして神の役どころをみると、昔の人々は、自分の人生と日々の暮らしをそれぞれの神々に託して生きてきたように思われます。               ※出典〔天祖神社の栞より〕

 境内の庭の一角に、縦3mm横5mmのゴザを敷いて、4隅に笹竹を立てて注連縄がはられた中で行われました。
 舞は一人舞で、巫女の打つしめ太鼓一つを伴奏に、円を描くように廻ります。先ず、大祓詞を奏上して舞台を祓い清めます。続いて面と衣装、持ち物(剣、鈴、扇子、弓矢など)を取り替えて五人の神々に扮して舞います。天鈿女神の舞が終わると15分ほどの中休みが入り、彦火火出見命の舞の時に、四方を弓で射る悪魔払いがあり、最後の大山祇命神の舞の時に、お餅がまかれ終わりました。
 舞の終了後に「お湯花」という湯立ての儀式も行われました。大きな釜に湯を沸かし、神官によって儀式が行われます。江戸時代に始まったといわれ、病気、災い、不幸等がないように祈念する儀式です。儀式が終わると氏子の人たちは、四方に張りめぐらされてた注連縄の紙幣をとり、釜の湯をにつけて痛いところをさすります。これは祈願のためであるといわれます。
             (2007/04/21天祖神社にて見学)

    ↑2、天鈿女神(あめのうずめのみこと)の舞


   ↑4、彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)の舞

    
       ↑3、天児屋根命(あめのこやねのみこと)の舞

    
       ↑5、大山祇命(おおやまずみのみこと)の舞


    ↑「お湯花」の儀式
    
         ↑「お湯花」の儀式
 この禰宜舞は、神奈川県川崎市宮前平にある白幡八幡大神で、7月20日と9月の第3日曜日(例大祭日)の年2回、行われます。この神楽(かぐら)は神官の小泉家 に代々伝承されているもので、慶長五年(1600)徳川家康が関ケ原の戦いに出陣するさい、勝利を祈願してこの神社の神主に舞わせたのが始まりだといわれています。
 この禰宜舞は、白幡八幡大神だけで舞われるのではなく、川崎市域の登戸・梶ケ谷・大田区などの各神社へも出向いて舞われていることも特徴のひとつと言えます。現在、東京側でこの禰宜舞が行われるのは、天祖神社だけになってしまいました。
 白幡八幡大神の禰宜舞は、昭和五十九年(1984)に川崎市重要習俗技芸に指定されています。
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