燈篭台石(東海道常夜燈)

■所在地 :大田区大森西5−2 大森三輪公園内
■交  通 :京浜急行本線 大森町より徒歩8分


 〈大田区指定 有形民俗文化財〉  昭和50年3月19日指定
    燈篭台石(東海道常夜燈)

 江戸後期、東海道筋に通行人の目印として、大森村を中心に近郷、江戸、川崎などの富士講の人々が建てた常夜燈である。
 もとは谷戸の交番付近(大森中1−18付近)に建てられていたが、東海道が第一京浜国道として建設されたため移転を余儀なくされ、転々とした後、大森中三丁目の三輪神社にあった。
 昭和六十一年(1986)地元より教育委員会に寄付され、ここに移設する際、戦災で失われていた火袋、竿石を修復し燈籠として復元した。
 台石の正面の彫刻は富士山が庚申の年に出現したという伝説を表わしている。

           ※出典〔大田区教育委員会設置の標識板より〕

       
      東海道常夜燈の復元について

 「東海道常夜燈」は、江戸時代後期(十九世紀初め)、かつての東海道大森間の宿のうち「谷戸の宿」といわれたところに建てられていた。古老の話によれば、現在の大森中一丁目十八番付近で、そこは明治時代にできた天神社があり、その前の旧道に建っていたという。しかし大正十二年の関東大震災によって倒壊、破損した。その後、東海道が第一京浜国道(昭和二年完成)として拡幅された際、台石等は地元旧家二軒に順次移管され、さらに三輪神社(大森中三丁目十七番十五号)境内に移設された。
 昭和六十一年六月、三輪神社の社殿の改築及び境内の整備に伴って移転する必要が生じ、神社から区教育委員会に寄付された。教育委員会では、前方八幡神社(大森中三丁目三番八号)の神前燈籠がこの燈籠を模して建立したと伝えられるので、これを参考に復元し当地に建立した。

           ※出典〔大田区教育委員会設置の標識板より〕
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