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狩野探幽墓

■所在地 :大田区池上2−10 本門寺内南之院墓地内  
■交  通 :東急池上線 池上駅より徒歩15分  都営浅草線 西馬込駅より徒歩13分
        JR京浜東北線 大森駅西口より東急バス池上方面行で15分 本門寺前バス停下車、徒歩15分


 〈東京都指定 旧跡〉  大正14年6月6日仮指定
                 昭和30年3月28日指定
    狩野探幽墓

 狩野探幽(1602〜1674)は江戸前期の狩野派の画家です。
狩野孝信の子で狩野永徳の孫にあたります。名は守信、出家し探幽斉白蓮子と号しました。京都に生まれ、慶長17年(1612)に駿府で徳川家康に謁し、元和3年(1617)幕府御用絵師になり、同7年江戸鍛冶橋門外に屋敷を拝領します。江戸城、二条城や増上寺、大徳寺の大寺院建築のほか、御所の障壁画などを手がけました。
 狩野派は、室町時代中期に、正信により始められ、明治時代に及ぶ日本絵画史上最大の流派といえます。室町幕府や江戸幕府の御用絵師を勤めました。探幽は狩野派中興の祖といわれ、桃山様式を継承するとともに、大和絵風の作風も残しました。山水、人物、花鳥など作域は幅広く、淡白端麗な画風を生み出しました。また、「狩野縮図」と称される古画模写も高く評価されています。

           ※出典〔東京都教育委員会設置の標識板より〕
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