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水止舞

■所在地 :大田区池上大森東3−7−27 厳正寺
■交  通 :京浜急行本線 大森町駅より徒歩10分

                            




 〈東京都指定 無形民俗文化財〉  昭和38年3月19日指定
    水止舞

 毎年7月14日大森東の厳正寺で行われる「水止舞」、厳正寺縁起によれば、水止舞は今から680年ほど前、醍醐天皇の頃の住職・第二世法密上人が行った長雨止めの祈祷に由来すると伝えられている。
 午後1時スタートの「道行き」(龍神の練り行列)から始まり、境内に設けられた舞台で6種類の舞が演じられる。


  後醍醐天皇の頃の元亨元年(1321)法密上人五十四歳の頃、武蔵の国(現在の関東辺り)が大旱魃に見舞われた。郷民は徳の高い法密上人に救ってもらおうと、そろって祈祷を願い出た。
 法密上人は雨乞いは他の高僧に及ばぬことと再三辞退したが、たっての願いにより稲荷明神の像を彫り、社を建て藁で龍神の形を造り、七日間祈祷して見事に雨を降らせた。
 しかし二年後の元亨三年(1323)数十日間雨降りやまず田畑ことごとく海となり、田畑流出し人々他国へ逃れる者多くあった。これは上人の雨乞いの禍と当時の恩を忘れ法密上人を恨む者まで出てきた。そこで上人は憐れに思い農民を集め再び神仏に祈祷することを告げ、龍の三頭を彫り水止(シシ)と呼び佛前に浄土三部経を誦し、郷民に水止の龍像を冠らせて舞わせ、笛太鼓をたたかせほら貝を吹かせて天に向かって踊らせた。すると黒雲は消え太陽が姿を現し、人々限りなく上人の高徳をたたえ喜んだ。
 これより郷民は、願いを聞き入れて下さった仏様への感謝と喜びの舞を奉納するならわしとなり、今日の水止舞に至っている。



    
       ↑大田区立郷土資料館展示の水止舞資料



 ↑水をかけられ法螺貝を吹く龍神

 ↑嫌がる龍神を無理やり舞台に上げる

 ↑舞台に上げられた龍神

 ↑龍神は解かれて舞台の周囲に巡らされる
  「道行き」龍神の練り行列
 午後1時に150mほど離れた大森東中学校校門前をスタートする。列の先頭は荒縄をとぐろを巻いた龍に見立てた中に法螺貝を持った若者。これが龍神で数メートルづつ運ばれ、そのつど水がかけられ法螺貝を吹く。牡牝2匹の龍神が、お練の道明けをする。
 その後を竹筒を持ち扇をかざした警固役の子供たちが続く。次に笛師連、そして花笠をかぶった花籠が2人がササラを打ち鳴らしながら続く。列の最後は舞の主役である3匹の獅子が続く。

 境内に着くと嫌がる龍神を無理やり舞台に担ぎ上げる。
 担ぎ上げられた龍神のとぐろが、解かれて舞台の周囲に巡らされ水止舞が始まる。
    
              ↑荒縄で造った龍

    
    ↑雨で行列中止のため舞台の上で警固役を務めた子供達
   


 ※この日は必ず雨が止むことから、近隣の人たちも「照り水止」と呼ぶようでしたが、2007年は台風接近のため雨でした。
 雨のため「道行き」の行列は中止され、2匹の龍神だけお寺の門から運ばれた。 (2007/7/14)
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