南洲海舟評議の処(松濤園)

■所在地 :大田区池上1−1−1 本門寺(松濤園内)
■交  通 :東急池上線 池上駅より徒歩15分  都営浅草線 西馬込駅より徒歩13分
        JR京浜東北線 大森駅西口より東急バス池上方面行で15分 本門寺前バス停下車、徒歩5分


 〈東京都指定 旧跡〉  昭和11年3月4日指定
    南洲海舟評議の処(松濤園)

 慶応4年(1868)3月、倒幕軍の江戸城総攻撃を前に倒幕軍の主席参謀であった西郷隆盛と、幕府軍の勝海舟がこの地で会見をし、江戸城無血開城の交渉を行った。会見は松濤園内の四阿(あずまや)で行われているが、建物は現存しない。
 この石碑は昭和16年に建てられたもので、西郷隆盛の甥にあたる西郷従徳の揮毫になる。なお、本門寺には倒幕軍の本陣が置かれていた。

                    ※出典〔現地設置の標識板より〕
    
    
    
 松涛園は、本門寺の旧本坊の奥庭として、桂離宮の建築と造園で名高い小堀遠州(1579〜1647)によって作られた
ものである。作庭にあたっては、この四千坪に広がる庭に遠州茶道の極意を具現し渓流と池を回遊する名園とした。
それは又本坊客殿より渓谷美を俯瞰できるように作られたものであるといわれている。宗祖七〇〇年遠忌の後期事業とし
て修築され、平成3年5月に落慶を見た。  
                                      

             ↑茶室「浄庵」
 松濤園の茶室
 園内には「根庵」「鈍庵」「松月亭」「浄庵」の四棟の茶室がある。
 
 「根庵」は三井の祖、益田鈍翁(考)庇護厚かった陶芸家大野鈍阿の住まいであった。この建物と「鈍庵」の二棟を裏千家より寄贈され移築したものである。「鈍庵」に対して根庵と名付けられ、八畳間の茶室二間、一回の最大収容人数は五十名である。
 「鈍庵」は四畳中板の茶室で栗材を使った建物である。「鈍庵」の名は、大野鈍阿が自らの名にちなんで付けたものである。
 「松月亭」は庭の西の小高い見晴らしの良い場所に建てられたあずまやで、茶会では立礼席として使用され、床机等を配し六十名の席を作ることができる。
 「浄庵」は平成四年に完成した茶室で庭園の一番高いところにあり、国賓などを接遇できる茶室は、法華思想である「水」にちなみ「浄庵」と命名されている。
           ※出典〔本門寺発行 松濤園案内より〕
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